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豊かだった島

かつて、資源により栄えた国があった。
南太平洋の赤道付近に浮かぶ島国、ナウル共和国だ。

しかし現在では、失業率が90%で、労働者の大半は公務員だそう。

この国では、アホウドリの海鳥の糞の堆積によってできたリン鉱石が資源となり
それを世界に輸出して、国民の多くが豊かな生活を享受してきた。

税金無し、医療費・教育費は無料。ベーシックインカム(国が国民に対して
最低限の生活を送るのに必要とされる額の現金を無条件で支給する制度)
で、寝ていても収入が得ることができたのだ。

リン鉱石は、化学肥料の原料として使用されていたので、世界中から買い手があった。

しかし、手厚すぎる社会保障は、人間を堕落させる。
昔、漁業を生業とし、貧しいながらも生活してきた、ナウルの人々。

リン鉱石の採掘場には、外国人が作業に従事し、島の人々は関与していなかった。
外国人が採掘したリン鉱石は、輸出するだけで国家の収益になる。

それを国民に分配すれば、働かなくても収入が得られるので、汗水たらして
労働しなくなったのだ。
当然、働き手の男たちが、昼間から街中をぶらぶらする・・・
そういった光景が当たり前になっていく。

80年代、GNPが日本の倍という豊かな国だったのが
現在は、リンが枯渇したため、跡地には伐採された森と
農業すらできなくなった大地だけが残ったのである。

しかし、ナウル政府は、リンが枯渇した時のことを考えて、投資していたのだった。

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ナンヨウザクラ

大正3年(1914)、第一次世界大戦が勃発すると、日本は米・英などと同じ連合軍として参戦し
ドイツに宣戦布告した。

この戦争で、ドイツ領カロリン諸島、グアム島を除くマリアナ諸島、マーシャル諸島などを占拠し
これらの地域が日本領となったのだった。

委任統治領として、国際連盟からのお墨付きを得て、太平洋戦争終戦までの
昭和20年(1945)まで統治することになる。
南洋群島では、現地住民に教育を施し、疫病を抑え、産業を興したので、島は豊かになった。

そんな日本人移住者たちが、現地で愛でていた花があった。

北マリアナ諸島・サイパン島に自生するフレームツリーだ。
火炎樹や鳳凰木とも言われ、鮮やかな朱色の花を咲かせる枝は
遠くから見ると、燃え盛る炎の様に見えるのだという。

遠く内地を離れた日本人たちは、桜よりはるかに長く花を咲かせる鳳凰木をみて
本土の桜を懐かしんだのだ。

常夏の島に夢を抱いて、カロリン、マリアナ、マーシャル諸島などに渡った人たちは、
終戦後、現地での財産や家族を捨て日本に帰っていった。

サイパン島だけで3万人、南洋諸島全体で8万人以上の日本人がいたが退去を迫られたのだった。

そんな彼らが魅了された朱色の花は、当時と変わらず、サイパン島に咲き誇っている。


犯罪者の子孫が住む島

1789年4月28日、フレッチャー・クリスチャンは、反乱に成功した。

追放された艦長、ウィリアム・ブライは、40日あまりをかけて、オランダ領東インド
(インドネシア)にたどり着き、英国に戻る。

一方、反乱に成功したクリスチャンらは、タヒチに戻った後
タヒチに残るグループと、島を離れるグループとに分かれた。
クリスチャンらは、9名のタヒチ人を乗せ、フィジー、クック諸島を経て
1790年にニュージーランドから5000km離れた、南太平洋の孤島・ピトケアン島に
渡ったのだ。

同年3月、ブライ艦長らは英国に帰国。すぐ事件を報告した。
英国政府は、謀反人を捕らえるため、すぐにパンドラ号を南太平洋へと
送った。

1791年、タヒチに到着したパンドラ号は、14名の乗組員を逮捕し英国へ
送還した。
しかし、送還中にパンドラ号が座礁し、沈没。謀反人の何名かが命を落とし
残った者は、代わりの船で送還され、英国で絞首刑となる。

英国政府は、パンドラ号の沈没により、ピトケアン島に渡った反乱者を見つけることができなかった。

事件から20年近く経った、1808年、米国の捕鯨船がピトケアン島に立ち寄った。
船長が、一人の住人と出会った。

彼は、バウンティ号の反乱者の一人でジョン・アダムスと言った。
島で生活していたのは、彼と、10人の女性、23人の子供だった。
アダムスに男性のことを聞くと、男性は皆、亡くなったという。

1793年、タヒチ人が、英国人の差別に耐え兼ねて反乱を起こし、英国人5人が亡くなった。
その中に、クリスチャンも含まれていたという。
反乱の鎮圧で犠牲を払い、水兵同士が女を巡って殺し合い
ついに男はアダムスしかいなくなったのだ。

1825年、アダムスは英国王の恩赦で無罪となり、1829年にピトケアン島で生涯を閉じた。
その後、ピトケアン島は英国領となり、島には、バウンティ号の反乱者の子孫が住み着いたという。


バウンディ号事件

時は18世紀後半。欧米列強が中南米・アジア・アフリカなどに
植民地を持っていたころの話。

英国は、カリブ海・西インド諸島で大規模なサトウキビのプランテーションを行っており
農場では、アフリカから集められた黒人奴隷が作業に従事していた。

西インド諸島の食料は、英国領北アメリカから運ばれていたが、1775年にアメリカ独立戦争が
始まると、食料供給が途絶えてしまった。

そこで、英国政府は、西インド諸島で食料を自給させるため、タヒチに自生する
パンノキを移植することになった。

1787年12月、徴用船・バウンティ号は、英国を出発。翌年10月にタヒチに到着した。
タヒチは乗組員たちにとっては楽園の島で、南国の生活を楽しんでいた。
乗組員の中には、現地女性と結婚した人もいたのだ。

1789年4月、パンノキを積み込んだバウンティ号は、西インド諸島に向け出港。
トンガ付近を航行中に事件が起こった。

艦長・ウィリアム・ブライは乗組員の間から嫌われていたという。
厳しい態度で臨み、また、パンノキを枯らさない為に水をやっていたので
乗組員の水を制限していたのだ。

不満が高まっていた乗組員たちは、ついに謀反を起こす。
4月28日、ブライ艦長と艦長の部下18名を小型ボートに乗せ、追放してしまった。
首謀者は海軍士官、フレッチャー・クリスチャン。
彼は、タヒチで現地女性と結婚していた。

これがバウンディ号事件で、こののち、追放された艦長は英国に戻り、事件を報告。
政府の威信をかけた大捕り物が始まるのである。

七大陸最高峰

七大陸最高峰を調べてみた。

アジア大陸・・・エベレスト(8848m)  ネパール、中国
ヨーロッパ大陸・・・エルプルス山(5642m)  ロシア
北アメリカ大陸・・・デナリ(6194m)  アメリカ
南アメリカ大陸・・・アコンカグア(6959m)  アルゼンチン
アフリカ大陸・・・キリマンジャロ(5895m)  タンザニア
オーストラリア大陸・・・コジオスコ(2228m)  オーストラリア
南極大陸・・・ヴィンソン・マシフ(4892m)  南極

全山制覇した人おるんやろか・・・

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